不覚にも進め。

腐女子が観劇したり俳優追ったり

舞台「極上文學 春琴抄」

「極上文學  春琴抄」

◆6/16〜26 スペースゼロ

 

結構時間たっちゃったーー見てきました。

初極上文學だったんだけど、原作予習していったほうがより楽しめるというのを聞いて、まずは原作を購入。

谷崎文学も初。感想は、話は置いといてとにかく、読みづらい…!!句読点が少ない文ってここまで読みづらいのかと。びっくりしました。分からない単語は注釈あるし平気だけど、そういう問題じゃなかった。純文学読み慣れてないせいもあるけど、調べたら早口の語り口調を表した文体…ということらしく。なるほど。

結果的には苦労して読んでいって大正解だった。原作の話を知っていても楽しめたし、難しい単語は初見じゃ理解できないし。ここは文字と意味が脳内に入ってるかどうかでかなり違う。

 

あらすじは今更なので端折り感想のみ。

まず、とにかく、演出が良かった…!良かった。すごく。

極上は朗読なのによく動くという話は聞いていたけど、本当に客席の間もよく歩き回って驚いた。台本も持ちつつなんだけど、台本が動きによって柄杓になったり、ちぎって破かれたり、色々な使われ方をしていたのが面白くて。あと今回の重要な要素として「盲目」ってところがあるけど、盲目のキャラクターは台本がないと台詞が言えない。ああ、そういう表現の仕方もあるのだなーと…春琴が喋るときはとくに、台本を早く見せろって態度で佐助に催促する場面が多くて、すると佐助が必死に台本を差し出して見せていて、佐助の甲斐甲斐しさを表現する部分でも一役買っていた。

光の使い方も上手いなぁと思った。「目潰し」にも意味があるんですよ、という話を書かれてたんだけど、強い光を客席に当てて目を潰した後にくる暗転は、本当に盲目の世界っていうくらいの闇。真っ暗闇。正直光強すぎて結構辛かったけど(笑)、効果的だなと思った。客席が追体験する佐助(と佐助がそこで知った春琴)の何もない暗闇の世界。余談だけどこれはDVDでは意味が無い、生の演出ならではですね。

脚本面では、結構独自解釈が含まれていたと思う。利太郎の扱いも、原作だとかなり一瞬というか端役なせいで春琴を襲った犯人であるかも曖昧だけど、極上の演出ではほぼ利太郎犯人確定って感じがした。その辺のアレンジも、脚本と私の解釈が一緒だったというか、「ああこういう表現もあるんだな」という腑に落ちる感じで良かったです。アレンジが合わないとイライラしちゃうからなー。春琴抄の世界観を損なわずに独自解釈を入れていたのはとても好感が持てた。ただ、ここが合わない人は酷評してらっしゃったので、好みも多分に含まれるかなぁ。

上述の利太郎の解釈という点では、描かれ方がこう来たかー、という感じしました。冒頭から利太郎の「佐助、まさかお前…」みたいな台詞で伏線を張り、最後に「まさかお前、ここまでしはったんか」(うろ覚え)で回収する。利太郎が春琴だけでなく、佐助にも何か感情を持っていたことを示唆する演出だなと思った。憎しみから、ある種の哀れみとか、そういう移り変わりかなぁ。

そして最後の、畳み掛ける早口シーン。これがゾクゾクきて毎回泣いてしまった。ここ、聞き取れないくらい早口なんだけど、意味は原作読んで頭に入れといたほうがいい。でないと何言ってるかを気にしてしまうから、駄目だと思う。そうじゃなくて言葉を、文章を、春琴と佐助に浴びせかけることに意味があるんだ…という風に私は解釈しました。

 

原作を読んで私が抱いた感想は「とにかく気持ち悪い(色んな意味で)」だったんだけど、今回は気持ち悪さより2人の「悲哀」の部分が強調されていたと思う。春琴抄の大衆が受け入れやすい面というのかな…まぁそうしないと見に来る層には合わないから正解だった気がする。例えば、実は春琴と佐助には結局3人子供がいたって書いてあるけど、そういうところはそぎ落としてある。私が感じた気持ち悪さってそんな描写も含めてだったので(だって全部里子に出してるってお前らな、ていう)、そういった意味でも美しく狂っていて悲しい・綺麗さを表現したい!という主張がはっきりしていて、上述の好感持ったのはそういう部分です。

最後盲目になった後、春琴が折れていようが佐助は春琴に「師匠としての矜持」を求めていて、折れた春琴なぞ春琴でなかった…というの、言っちゃ悪いけどSMというか、M属性の求める「サービス」だよね。ってところ本当に気持ち悪い(絶対誤解されるけど貶してはいない)と思うんだけど、それが綺麗に見えた。悲しく綺麗で傍観者の我々は泣きたくなるような切なさがあった。盲目になった佐助にとって春琴は「観念」だったから、いつ死んだかも定かではなかったかもしれない…そんなの本当の愛ではないなって思うけど、だからこそそれが愛だって思える。実体を失った後も愛を失わないなんて、常人には理解し難い幸福の形だなって。

こういう部分の解釈が一致すれば、今回の春琴抄はとても心に残る作品になったんではないかな…。少なくとも私はそうです。そして演出が悲哀と切なさを助けていたと思う。

 

基本個々の俳優の話をし始めるとオタクが過ぎるから(書きすぎてキモい)自重してたけど、マルチキャストだったのでせっかくだから少しだけ。全部見られてないので私が見た回だけだけど。

 

◆佐助

和田佐助と松本佐助を見ました。個人的には、松本佐助が春琴に対しての盲目な愛と狂気を表していてすごく好きだった…(ほんと個人的な好み)。原作では佐助が盲目になったとき、春琴に対して「狂喜して叫んで曰く」という表現がしてあるんだけど、そのシーンで本当に嬉しそうにしていたのが松本佐助、すごかった。大好きですそういう狂気。最初はとても大人しそうでビクビクした少年で、なのに後半自分の目を刺すシーンでは肝が座ったというか、ともすると向こう側の世界を見てたような。佐助の成長と感情の移り変わりをすごく感じました。和田佐助は狂気はないけど(ただ冒頭の盲目佐助の膝打ちシーンの狂ってる顔は最高だったDVDは是非ズームしてくれ)、甲斐甲斐しさと必死さが現れていて…。佐助が春琴を連れて客席通路を歩くシーン、和田佐助は小さく春琴に「大丈夫ですか」(うろ覚え)みたいに話しかけていて、通路席くらいしか聞こえない小さい声なんだけど、そんな丁寧なお芝居されるとキュンと来ます。

 

◆春琴

伊崎春琴がもう死ぬほど可愛くて。足パタパタもさることながら、本当に女の子に見えた…。少女性がある??男性にそう思うくらいの…不機嫌になってるところとかワガママお嬢様感にあふれていた。あと関西弁が不安なく聞けて(笑)、当然だけど安心感すごい。和田春琴はなんていうか…女帝?(笑)圧がすごかった。折檻含めて言うこと聞かないとやばそう。なのに座る時は毎回きちんと着物の裾を折れないように持って座るんですよね…台詞より仕草に女形の妙が出てました。

 

 

色々書きたいことあったのに間開きすぎて忘れてしまったw駄目だ…

具現師の方に頂いた折り鶴大事にします。今年見た中では一番心に残る舞台でした。

DVDでも見るけど多分生が良かったんだなぁと思う…舞台はやっぱ生に限るなーー。